摂食障害の体験談「なぜ私が摂食障害に?」に疲れた人へ

sessyoku

こめ田ぱすたの妻、もちこです。このブログ内では私の病気である「統合失調症」の記事を紹介しています。

実はこの病気以外に至るまで私は「摂食障害」という病気にかかっていました。診断を受けたのは17歳、現在33歳。

紆余曲折しながら毎日生きて「摂食障害とはなんぞや?」「なぜ私が摂食障害に?」等たくさんのハテナが生まれました。

そんな中”夫との出会いにより症状が徐々に緩和されていく”という不思議な現象が起きました。

摂食障害とは、食行動に対する精神障がいの一種で、神経性無欲症(神経性やせ症、拒食症)と神経性過食症(嘔吐有無)に分けられます

拒食症になると過食症に転じる可能性が高く、拒食症と過食症を繰り返しながら、振り子のように段々と緩やかに治ると言われています。

私の場合は嘔吐恐怖症だったので過食嘔吐は一度も経験していません。ただ、吐きたくて手突っ込んだ事はありますが吐けませんでした。

精神状態は、偏った例えですが、アルコール依存を食べ物に置き換えて考えたらわかりやすいと思います。

アルコール依存の方が常にお酒の事を考えているように、摂食障害は食べ物依存。常に食べ物を考えているような。


ガリガリにも関わらず太っているとしか思えない。

体重という「数字」が自分の価値。

見た目や数字に翻弄され「ふつうに食べること」が分からなくなってしまうこと、それが摂食障害です

摂食障害の体験談「なぜ私が摂食障害に?」

「摂食障害」と診断されるまでの経緯

幼少期からごくごく普通の生活をしていた。

ただ家族関係が複雑なのと勉学に過度な期待をされていた。食事は食べたいだけ食べても特に太らなく標準だった。それだけ消費していたり代謝が良かったのだと思う。

家族構成は父母兄私の4人。両親は教員、兄優秀。

高校での勉強が難しくなり良い結果が出せなくなる。当時、付き合っていた人が外見にあれこれ言う人で髪型を変えたりしたらガッカリされたり、菓子パン食べれば太るからダメという人だった。その人とはその後別れた。

私は何もかも自信がないから人の言うことに流されて何が正しいのか間違っているのか分からなかった。

彼氏との別れを境に、何か頑張ってきたものが崩れているのがわかった。崩れてきたものを建て直すには頑張らないといけない。

それが「痩せるだった。

当時、身長158㎝体重52㎏。BMI的にも標準だった体重は、過度な食事制限と運動により3ヶ月で体重42㎏まで落ちた。

親は怒った。「サラダだけ?」「顔がげっそり、ひどい顔だぞ」「食べなさい!」

そんなことお構いなしにダイエットをする。体重計に乗ると表示される数字に一喜一憂。落ちなければ走りまくる。落ちてもまだ落とす。

憑りつかれたように減量を続けた結果、さらに体重は落ち36㎏に。痩せようと決めた52㎏時から半年足らずで16kgも痩せた。

 

ある朝起き上がることができなくなった。眠いからではなく、体が動かない。完全に栄養失調。内科にて毎日300キロカロリーの点滴を打ち始める

この頃は体重を落としたい気持ちが止まる。それよりただ身体的な苦痛が酷かった。

激しい吐き気と胃痛、学校は休みがち。色々な内科で診てもらったが吐き気どめの点滴や薬など。胃カメラも飲んだ。けれど胃には異常はないと言われた。

後日その医師から聞かされたが、「目つきがおかしい、すわっている」と思われていたらしい。

その結果、精神科を勧められ紹介状を書いてもらった。内心「精神科?」とハテナでいっぱいだった。

この時は本当にガリガリだった。当時の写真を見ると今でもドン引きしてしまう。

 

 はじめての精神科外来

摂食障害体重


両親につれられ精神科へ。カウンセリングを受けた結果、摂食障害だと診断された。

即刻入院が必要、このままでは死ぬとも言われた。

医者から提案されたのは、喉に穴を空け、チューブを通して胃へ無理やり3000kcalをいれるというもの。


「いやいやいやいや!3000kcalとかありえん!太るじゃん!!」

私は完全に拒否。喉に穴を空けることよりも太る恐怖の方が勝っていた。

そもそも病気だと診断されても、自分は病気であるという認識はゼロ。何度言われても理解できない。

結局私の反対により医者の提案は却下。この時の提案を受け入れていたら今頃、私は喉からチューブをぶら下げて生活していたかもしれない。

この時すでに絶食状態だったため、口から固形物を摂取することは難しかった。

代案として水分は必ずとることと、内科で300Kcalの点滴を毎日することになった。水も摂れない時は水分摂取のための点滴を行った。


初診の担当医曰く「摂食障害は必ず治る病気」らしい。


摂食障害と診断後、ここから週一で精神科に通院することになった。薬物療法と、体重が40㎏を下回っていないかチェックするために毎回体重測定があった。

併用して内科で栄養点滴をした。絶食の点滴生活はラクだった。注射針の痛みと毎回トイレに行きたくなるのを除けば。

食べないから、太ることに対する恐怖心も無い。

 

初診から1ヵ月後元カレとよりを戻す

1ヶ月くらい経った頃別れた彼氏とよりを戻した。

それが精神的に良いキッカケになり、絶食状態からいきなり固形物を食べた。テンションがハイだった。

普通は絶食状態から固形物を食べる場合、アイスやヨーグルトなど柔らかいものが多いらしい。

私は母が作ってくれたチクワにチーズとキュウリが入ったものを食べた。親は大喜び。次の日もデートに出かけた。帰ってきたら食べるだろうとダイニングテーブルにチクワが用意されていた。私は食べなかった。

隣の部屋に居ると親の会話が聞こえてくる。

「昨日は食べたのになんで?」

期待に応えられなくて泣いてしまった。

それから親の期待に応えたくて頑張って食べた。ある日は自分で焼きそばを作って食べた。自分で作ったということで無理にも食べられた。

もうこの頃はみぞおちの辺りで胃痛が酷くてただただ耐えた。24時間ずっと。胃痛と吐き気がした。お腹を覆う為に、ずっとアザラシのぬいぐるみを抱っこしていた。


食べるのがこんなにも苦痛と感じるのは半年前とは訳がちがった。

半年前はただただ「痩せる!」だったが、今は太るのが怖いし医者に決められた40㎏以上をキープしなければというジレンマがあった。

更に体重増加にあたり足が浮腫むということを聞かされていた。それが怖くて密かに隠れてダンベルで筋トレをしていた。

ガリガリのお腹に物が入ると妊婦さんみたいにパンパンにお腹が膨らむ。これが嫌でたまらなかったでも数時間でしぼむという不思議なお腹になる。

食べるものは決まっていた。この時はヤマザキのこしあんぱん、月餅、セブンのサンドイッチ、丸ごとバナナ、卵のランチパック等。同じ物しか食べられない。

摂食障害の症状

MEMO
✰︎主な症状
ずっと38度の熱 / 腹痛 / みぞおちをえぐる胃痛 / 吐き気 / 多汗 / 冷え性 / 生理不順・生理が止まる / 足のむくみ / 薄毛 / 頻尿 / 便秘 / 下剤による下痢

MEMO
✰︎精神状態
うつ状態 / イライラ / 自殺願望 / 自傷行為 / 人との接触を拒む / 引きこもり / 過度な運動・筋トレ / 醜態恐怖・見た目に強い執着心 / こだわりが強い / 子供返り・赤ちゃん返り / 家出・脱走 / 物に当たる / 嘔吐恐怖 / 声が出なくなる

※摂食障害の他に不眠症、心身症、パニック障害も付属

高校は休みがちの学生生活


高校は普通科で将来親と同じ教員になりたかった。出来たら美術教諭になりたくて美大を目指していた。勉学は出来なかったが、美術が突して出来たので実技で合格を狙う様に指導を受けた。

だけどもそれどころか学校に通うことすらできなくなり、出席日数が足りないかもしれないくらい休んだ。結果的に数学Bと日本史の単位は落とした。ただ卒業出来る範囲の出席日数はギリギリ確保できたので高校は無事卒業した。

因みに美大は受験できなかった。絵すら描けなかった。エネルギーを使うから。でも体を大きく使わなくてもパソコンで絵を描く時代だと思い工学部を受験。無事合格。

しかし県外の学校だったため一人暮らし必須。当時の担当医には大反対されたが、粘って条件付きで許しを貰った。

それは今までの約束の「体重が40㎏を切ったら即入院」「1日なんでもいいから3食必ず食べること」だった。

大学生活と一人暮らし


気候が春ということもあり浮かれていたのか、胃が痛いことや吐き気も笑顔で乗り切れていた。学校もすごく楽しい。お弁当を作ったり自炊もし始めた、1ヶ月だけ。あとは携帯できる栄養食で生活していた。

朝:カロリーメイトブロック1箱、カロリーメイトココア1本

昼:カロリーメイト半箱、カロリーメイトココア1本

夜:朝同様

このやり方は自分にとって分かりやすかった。カロリー計算がすぐにできるから。

本当はこの頃医者と約束した40kgに届いていなかった。

たまに訪問にくる親の前で体重測定しなきゃいけない。厚着をしたりポケットに物を入れまくったりして誤魔化した。

夏休みの間は実家に帰っていたが、あっという間に休みが終り、後期の授業が始まった。体がしんどい、かつてないような不安感に襲われる。

親に迎えに来てもらい休学の手続きをおこなった。

3度の飯は”3度の儀式”


必ず朝昼晩なんでもいいから必ずご飯をとること。40㎏を切ったら入院。 いまだ絶え間なく胃痛や吐き気が24時間続く。

私にとっての「食事」「仕事」。むしろ「儀式」に近い。

ある日突発的にケーキが食べたくなった。母親はカットされたケーキを10個ほど買ってきてくれた。私はケーキをガッついて平らげた。もう苦しいくらい詰め込む。

しかし昼食はまだ摂っていなかった。母親は「ご飯は別よ〜食べてね〜」って入らんよ。。でも約束なので食べた。

またある時は、出掛けていて夜帰ってきたら食卓に晩御飯が置かれていた。パーティー用のお惣菜くらいの量の揚げ物が盛り付けてあった。心配する親の気持ちも分かるけど無理やり太らせようとするのが見え見えで嫌だった。

明らかに40㎏以上体重を維持できるようになると病院での体重測定はなくなった。家でも体重測定を止めた。そして自ら体重計に一切乗らないようにした。

何故ならば数字が自分の価値という概念が怖かったから。その呪縛から解き放ちたかった。ただ見た目はかなり気にしていた。

発症から約2年、やっと自分は「病気」だと自覚する


体重は40kgを下回らなくなったが、今度は喋られなくなる。これは半年続いた。その間は筆談での会話をする。

一人暮らしに自信が持てなくなり中退をした。

同時にこの頃から精神状態が崩れはじめる。学校を辞めて引きこもり、何もない。NEETという言葉が浸透しはじめたころだった。病気療養の意識がないため、自分はニートなんだと感じた。結果、劣等感まみれに。

24時間絶え間なく続く胃痛吐き気。1日3食食べて必ず隠れてダンベルで筋トレしまくる。自室で聞こえるのは毎日毎日ノートパソコンのファンの音。ネットサーフィンが日課。というか楽しみみたいなものはそれだけ。

病気に対する理解がない彼氏からは出てこい出てこいとメールの嵐。いや、会いたくないではなくて「会えない」という選択肢があるのだが理解しては貰えない。

家から出るまで外に車を停めているので出掛ける。38度の熱があってもめまいでフラフラでもだ。

自覚は無かったけれど第三者からみて当時の彼氏はデートDVにあたるらしい。モラハラも付属。暴力たるものと暴言もあった。でも楽しい時は楽しい。

完全なる共依存だった。

この彼氏は「太ったら困る」「働いて。でも会えないのはダメ」「(喋られなくなった時期に)本当は喋られるんでしょう?喋って」と言っていた。

不安を煽られる感覚になった。痩せを維持しなくてはいけないと。

この頃からリストカット、アームカットをしはじめる。首を吊ろうとする。カッターナイフ振りかざしてカーテンバラバラ。ダンベル投げまくって床ボコボコ、クローゼット破壊。食器を割りまくる。

ストレスからか病気の呪縛からか爆発する。24時間吐き気胃痛のストレス半端ない。

その後この彼氏とは綺麗さっぱり別れた。

これが良かった。見た目をああだこうだ言ってくる人が居なくなるのだから。不安要素が1つ減った。

勝手に断薬を始める

発症から4年、吐き気と胃痛が幾分ましになってくる。

外食ができるようになった。友人と外食をする。いつものように食後に処方箋薬をのんだ。

その時彼女から「なんの薬?」「なんで薬を飲んでいるのか?」と聞かれた。カチンときた。

当時頑固だった私は”じゃあ飲まない”と決めた。そして少しずつ薬の量を減らし、3ヶ月後くらいには鼻炎薬以外の薬は何も飲まなくなった。

その勢いでアルバイトもはじめた。パン屋さん。夜まで一人で任されるので晩御飯は食べられなくなるので担当医には反対された。

しかしやりたかったので続ける。

急に眠剤も安定剤もやめたので、当然のことながら眠れなくなった。更に安定剤を止めたことにより筋肉が強張り凝り頭痛がした。吐き気どめにも効能があるため吐き気を催す。

アルバイトは2ヶ月で辞めた。

断薬による離脱作用に悩まされる

アルバイトを辞めてすぐ病気が悪化。自暴自棄になる。

ケータイを解約して人との関わりを拒んだ。関わるのは親と医者のみ。

この時とにかく不眠が酷かった。断薬の反動だろう。入眠できない。中途覚醒、早朝覚醒、日中は酷い眠気。

だけど朝は必ず起き、3食朝昼晩食べなければならない。

嫌なことは続いて起きる。穏やかになりつつあった吐き気がとまらなくなってきた。しかもかなりキツめの吐き気。だけど、食事は必須。

眠れなくて心因性頻尿で5分間隔でトイレに行く30分1時間繰り返す。諦めて我慢すると我慢しすぎて尿が出ない。朝方3時には目が覚めて眠れない。8時間以上睡眠時間を確保しなくてはいけない私にとっては辛かった。

日中ベッドに横になっていたかったが、親が起こしに来るため出来なかった。何故ならば3食食べるためだ。


眠気と吐き気が酷かった為また精神科に何度も相談に行く。担当医以外にもカウンセリングを受けた。取り合えず強い薬を処方されたが怖くて飲めなかった。(新しい薬は副作用をネットで調べる癖がある)


気休めに不眠に効果があるというCDを聴いたり、スピリチュアルな本を読んだり必至に打開策を考えた。


結局は断薬していた薬を飲みなおしたら徐々に効いてきた。

 

眠りを改善したくて運動を始める

無理やりハイになっていた。

眠りにつけるようにとあれこれ運動を始める。

温水プールへ行ったりとにかく水中散歩を1時間。犬の散歩を30分以上する。

とにかく外に出るようにした。外に出て紫外線にあたる。自転車で普段の食料品などの買い物をしてサイクリングもした。

あてもなく電車に乗り行先も決めず出かけて観光したり、飛行機に乗ったりアクティブに活動した。

引きこもっている時と違い光に浴び体は動くので眠りに最適だった。

ある時「治った」!?

摂食障害発症から6年。運動を初めて3ヵ月。

ある日自転車を漕いでスーパーに買い物へ行っていた時、ふと頭をよぎった。「私治った〜」と。言い表すなら空から言葉が降りてくる感じ。

それからは「自分は治ったんだ」と言い聞かせ続けた。言わば自分自身に対しての洗脳だ。

ただただ「私は治った」と言い聞かせる。そういうことにより「なんで私が病気に。。」など考えない様にする。

すると次第に体調・体重共に改善し、見た目からは病気とは全くきづかれなくなった。

今思えば肝心なことに目を背けていた。きちんと「病気の原因や今までの家庭環境、生きてきたプロセス等」を見つめなおしていれば良かったのでは?と考える昨今。


当時も100%治ったかと問われたら否。実際に医者に「治ったよ」と言われたわけではないからよくわからない。

だが数字(体重、BMI)が標準であるのならば表面上完治したとも言えるだろう。

夫との出会い

摂食障害発症から7年

23歳。夫とは友人の紹介で知り合った。

私が過去に摂食障害だったことは夫に話し、すんなりと理解をしてくれた。のんびり付き合い穏やかに過ごす。当時は事務仕事もしており社会的にも安定していた。

デート先で立ち寄った電気屋で、久しぶりに体重計に乗ったら46㎏あって安堵した。

私はやりたい仕事が出来て充実した生活を送っていた。摂食障害の時の薬はまだ少し飲んでいたが、かなり少量だった。

そんなある日香川県にドライブに行くことに。帰りに寄ったうどん屋さんで激胃痛に襲われた。胃薬が効かなくて、いてもたってもいられなくなる。

次の日には吐き気に変わり食事をしようとしてもどうしても喉を通らなかった。

何がキッカケになったのかわからないが、そこから体調が一気に崩れた。

体重も半年で5㎏落ちた。当時まだ彼氏だった夫に、精神科につれていってもらい薬が処方された。

自分の手から食べず、夫に食べさして貰ったら何故か食べられた。
でも家に帰ったら親の視線が気になり吐き気を催し食べられない。

摂食障害発症から8年
 
新しく職場が変わる。人間関係がうまくいかず、イライラしがち。吐き気を催しつつこなす日々。

たまの夫とのデートで当たり散らす。なだめられる。ヤケクソ、自暴自棄、やりたい放題。夫は変わらず体調を気にしてくれた。

結局1ヶ月休職をして規定により退職。

しかしすぐに事務アルバイトをはじめる。そこで職場で倒れこむ。半年で自己都合により辞める。

社会にでるということはみんなと同じことができて当たり前、それがなによりしんどい。

「体調を崩し休職→退職→焦って就職→退職」を繰り返していることに気付いていない。


毎日死にたい死にたいと夫へ訴える。破壊癖がででてきて自分の携帯を折る。

体調が悪いけど夫といると調子がよかったりする。

だから一緒にいようと同棲を提案してくれた。毎日穏やかでは無いが、一緒にご飯を食べられた。それだけで幸せで救われた。

食欲が無いのに何故か夫が食べている姿や音を聞くと食べたくなる。

なぞの夫療法

摂食障害発症から9年


夫と結婚したのは26歳の時。家事も出来ない料理も出来ないって言ったけれど「僕がするよ」と言ってくれました。もう頭が上がりません。

私が体重のことを夫に訴えかけるとこう言います。


「太ればいいよ、何か問題あるの?」
「ごはんを美味しく食べれてよかった」
「服がないなら買えばいいよ」
「太ろうが痩せようが可愛いよ」
「家事してくれるのも嬉しいけど、運動して体力つけてくれた方がもっと嬉しいかな」
「体重なんて水飲んだだけでも変化するんだから、こまかいことはいいんだよ」

とても安心できる言葉たちです。

現在の様子

摂食障害発症から16年

担当医は「摂食障害は必ず治ります」と言いました。他の医者も摂食障害は「必ず治る」というでしょう。またネットで調べても同様だとも思います。

完治と聞くと、100%状態が良くなると思いがちです。

しかし精神障がいの「治る」は状態が落ち着くことを指し、「寛解」と呼ぶそうです。

発病してから15年以上。いまだ私の中には小さな「摂食障害」が残っています。

でも摂食障害の”振り子”は確実に穏やかになりました

人生が続く限りこれからもこの病気と付き合っていくことになると思います。

その理由として「人間の心は簡単に標準化することはできない」からです。

いかに摂食障害と上手く付き合うことが出来るかが今後を左右すると考えます。

摂食障害の症状は落ち着きましたが、現在は統合失調症・適応障害・全般性不安障害を患っています。
(※今後機会があれば書いていきます。)

森田療法の“あるがままに”が受け入れられたら精神疾患にはなっていないと思います。夫はあるがままにができる人。だから精神疾患ではありません。

程よい鈍感力が持てないから生きづらい。。

私は自分に自信がもてませんでした。

何をしても人の顔色を伺い人間関係も上手く築けられませんでした。コミュ障でイヤになりました。

しかし担当医曰く「違う、コミュニケーション能力が高いんだよ」「周りを不快にさせないように気を効かせられるのはすごい」と言われて少し救われた気分になりました。

夫は私の夫であり私の親代わりでもあります。夫としての愛情と親から欲しかった愛情どちらも注いでくれます。


夫は大変だと思います。

しかし「仕方がないでしょ、僕以外いないのだから」と言います。

物凄く大変だと思います。仕事のストレス私のストレス、物凄く大変です。感謝を忘れずに日々過ごしています。

結局、摂食障害は何が原因なの?

よく巷で言われているのは母親との関係性と聞きます。確かに否めない部分もあると思いますが一例に過ぎません。

私の母親は私が摂食障害になり、ものすごく母自身を責めていました。そして病気で一番苦しい時いつも寄り添っていてくれました。

私の場合「もしかしたら母親が原因では?」と考えたことはあります。

でも沢山考えて私の場合は違うと自分で判断しました。今までの人生で母親だけが私に関わってきたのではないですから。

ある医師には「あなたはそもそも境界性パーソナリティ障害だ。それに上乗せするかたちで摂食障害になりやすかった」ともいわれました。

「ダイエットがきっかけ」といわれてもなんだか納得もいかず、結局ははっきりしたことは分かっていません。


自論は真面目すぎて極端な性格と痩せへの執着心が根強いこと、また自己肯定度の低さかなと思います。


他人に言われたことに振り回される自分。自分が弱くて悪い訳ではありません。


※知り合いはイジメ、小学校の給食を無理やり食べさせられるから
※精神疾患になる親の三大職業 警察官 医師 教師

摂食障害で悩んでいる方へ

 

まず医療機関にかかってない方は必ず専門の医師に相談してください。
生死に関わる状態の場合があるので受診必須。

摂食障害のキツさは本人にしかわかりません。周りにいるご家族なども辛いと思います。しかし1番辛いのは患っている自分です。あなたは病気と闘っており、あなたは偉いと褒めてください。


私は摂食障害という大変な病気を経験しました。今回簡略的ですが文章におこすことで、客観視が出来ていることに気づきました。

この簡素な文章ですが読んで頂き、少しでも何かに役に立てたら幸いです。
※今後病状の詳細を記事にて詳しく書いていく予定です。

 

まとめ

摂食障害まとめ


最近の“痩せ正義社会”は異常です。

重度の現代病であり国指定の難病である摂食障害。食べることは生きていく為に切っても切り離せない行為であり大切なことです。

人間が避けることのできない苦悩、生老病死。私は生きており老いていき摂食障害になりました。そして「死」以外の苦悩を経験しています。ある意味最強だと思っています。

「人間皆平等じゃない。どうして私だけ?」みんな次々進んでいくのに、自分だけその場で足踏みして止まっているかの様なふがいなさ。

「いつまで続くの?」

病気とうまく付き合えたらどんなに楽か。

私は病気になって病気を恨みました。

でも「摂食障害」という経験は何物にも代えられない貴重な賜物だとも思います。

何故ならばこの不運な試練は越えられるものしか与えられないものだと考えたからです。病気にならなかったら夫にも出会えられなかったかもしれません。

人間は前に前に進んでいくものだと思っていました。しかし病気をきっかけに今立ちどまり、人生を見つめなおす事が出来ました。

良いことばかりではありません。むしろ悪いことが多いかもしれません。

「どうしてあの時。。」「どうして私が。。」主に家族に向けての果てないハテナ。

その中で気づいたことは、今目の前にある事を1つ1つこなすのことが私の使命だと思いました。

「人に良い」と書いて「食」。

美味しいものを食べて笑っていたい。それが今年2019年の目標です。

 

 

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